カネと宗教と活版印刷
印刷が世界を変えた 「世界を変えた印刷物」のリストを作るのは難題です。人文学が専門ではない私ですら、思いつく限りに書名を上げていけば数百~数千冊のリストになってしまうでしょう。私の本業である物語創作の観点でいえば、シェイクスピアやディケンズの著作はすべて世界を変えたレベルで重要です。しかし本書の趣旨からは離れるので、ここでの紹介は避けましょう。 また、ホッブスやロック、ルソー、モンテスキューなどの小中学校の社会科で習う思想家の著作をわざわざ紹介しても、学校の勉強のおさらいという趣が強くなりすぎてしまうでしょう。 ここでは私独自の視点から、絞りに絞って5冊を紹介します。 この5冊が紡ぐのは、人類…
じつは江戸時代の日本でも、複式簿記に似た記帳の仕組みが(おそらくは独自に)発明されていました [3] 。1671年に作成された大阪の鴻池両替店の「算用帳」などが知られています。天下太平の世となって商業が発達した結果、3世紀前のイタリア人たちと同様の問題に頭を悩ませ、似たような解決策に至ったようです。ところが、これら日本の商業帳簿はいわば「一家の秘伝の技術」となり、符丁(ふちょう)を使うなどの暗号化がほどこされることさえありました。開国以前の日本では『スムマ』のような簿記の教科書が広く出回ることはなかったのです。
②マルティン・ルター『九十五ヶ条の論題』(1517年) キリスト教の分派の歴史 ルター――印刷技術が生んだインフルエンサープロテスタントの歴史家により、ルターは論争好きのたくましい人物として描かれがちです。それは一面の真実を捉えているのでしょう。彼はたしかに、妥協を知らない頑固かつ頭脳明晰な人物だったようです。反面、1519年にライプツィヒで開かれた討論会に現れた彼は、骨と皮ばかりで、急に有名になった重圧で疲れ果てていたといいます [9] 。まるで、現代の「炎上しちゃった人」のようです。
ドイツで印刷された小冊子の数は、1517~1518年にはそれまでの5倍になり、1520~1526年の期間に6000点以上の論文が執筆され、650万部以上が印刷されたという研究があります。これら冊子の価格は、1冊あたり雌鶏1羽や干し草用フォーク1本と同程度であり、多少は値が張るものの誰でも入手可能な範囲でした [10] 。なお、当時のドイツの人口はおよそ1200万人、識字率は国全体で5%、都市部の男性でも30~40%と推計されています。驚くべき数の印刷物が刷られたことが分かります。
プロテスタントの誕生が世界地図を変えたこの戦争の講和条約であるウェストファリア条約は、歴史上、極めて重要な意味を持ちます。この条約の中で、史上初めて「主権国家」の概念が明文化されたのです。現在の私たちは「国家」の定義を、誰かに「主権」があり、「領土」と「国民」が存在するものだと考えています。このような概念は、ウェストファリア条約が結ばれたことで実現したのです。
★お知らせ★ この連載が 書籍化 されます!6月4日(火)発売![1] ジェーン・グリーソン・ホワイト『バランスシートで読みとく世界経済史 』(日経BP社、2014年)P.65[2] 渡邊泉『会計の歴史探訪 過去から未来へのメッセージ』(同文館出版、2014年)P.33-51[3] 中野常男、清水泰洋『近代会計史入門』(同文館出版、2014年)P.134-136[4] ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』(文藝春秋、2015年)P.144[5] ルカによる福音書第3章23節[6] アレクサンダー・モンロー『紙と人との歴史 世界を動かしたメディアの物語』(原書房、2017年)P.368[7] ジェームズ・フランクリン『「蓋然性」の探求 古代の推論術から確率論の誕生まで』(みすず書房、2018年)P. 302[8] モンロー(2017年)P.332[9] モンロー(2017年)P.333[10] モンロー(2017年)P.335-336