浜寺俘虜収容所-日露戦争最大のロシア兵捕虜収容所
110年前の日露戦争、日本最大級の捕虜収容所が大阪にあった。その名は「浜寺俘虜収容所」。その規模やエピソードなど、地元に残った資料を使って解説。
閑話休題。収容所で注目すべきは、収容者の宗教を重視したこと。当時のロシア帝国は、現在のポーランドやバルト三国、フィンランドなどが含まれていました。キリスト教だけでも、ロシア正教にカトリック、プロテスタントなどかなりのモザイクぶり。そこにイスラム教やユダヤ教徒も加わりました。面々だけなら俘虜収容所とは言え、立派な「他民族・他宗教国家」です。しかし、狭い地域にそれができるとトラブルは不可避、実際に捕虜どうしの宗教上の対立や喧嘩があったようです。
丁重に葬られた収容者収容所が開設されていた期間、戦傷や病気がもとで 89名の死者 がでました。
「魯国俘虜収容於浜寺者二万八千有余人而死者八十九畢此地地村人所献彼我有志者相謀建墓標魯人更建記念碑於場中央遊魂亦以可瞑矣陸軍少将隈部潜記并書」「ロシア兵俘虜28,000人のうち、89名が浜寺(収容所)で亡くなった。心ある者が墓を建てロシア政府が碑を建てた。ロシア兵の魂よ安らかなれ」
お探しのページ、またはファイルが見つかりません【西日本新聞】 www.nishinippon.co.jp NEXT⇒「イスラエルの英雄」が見た収容所- 大阪市立図書館 https://www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?key=mug68xxfg-8993 より
- 『大林組80年史』より
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