露と落ち露と消えにしわが身かななにはのことも夢のまた夢
露と落ち露と消えにしわが身かななにはのことも夢のまた夢

露と落ち露と消えにしわが身かななにはのことも夢のまた夢

和歌原文 露と落ち 露と消えにし わが身かな なには(浪速)のことも 夢のまた夢 つゆとおち つゆときえにし わがみかな なにはのことも ゆめのまたゆめ 豊臣 秀吉 現代語訳 露のように生まれ、露のように死んでいく、私の人生であったなあ。色々なこと(大阪で過ごしたこと)もまるで夢の中のことのようだ 文法 鑑賞のポイント 太閤さん 日本の偉人で「さん」を付けて呼ばれる人物を挙げるとしたら、みなさんは誰を思い浮かべるでしょうか?「西郷さん」「太閤さん」私はこれくらいしか思い浮かばなかった。〇〇さんは尊敬されながらも愛嬌ある人物にしかつかない呼称なのである。尊敬と愛嬌を持ち合わせることは難しいのだろ…

今回の短歌は「太閤さん」つまり豊臣秀吉の辞世の句と呼ばれる短歌である。低い身分から織田信長に仕え、その中で出世を重ね、信長亡き後は天下を握ることとなった。日本の歴史上類を見ない成り上がりの人物である。一方「サルと呼ばれていた」「人たらしで天下をとった」とどこか愛嬌を感じさせる人物評が現代まで伝わっている。多くの苦難を愛嬌を振りまきながら乗り越えていく秀吉には、スマートさはないかもしれないが、それが人間らしく、我々一般人にも受け入れやすいのかもしれない。

さて、その秀吉が、誰もが避けられない死を前に何を思ったのであろうか。その心をのぞくことができるという意味でも、この短歌は非常に興味深いものである。

今に生きる

「露のように生を受け、露のように死んでいく我が人生」と秀吉は自分の人生をあらわしている。みなさんもこの感覚は分かると思う。今の年齢になった時の自分はもっと大人のはずだったと思わないだろうか。もっとたくさんの経験をして、全く違う考え方をしていて・・・。なんて想像していたが、実際は生まれた時から大きく変わらない自分がいる。生まれてから今までがそうであるならば、自分が死を迎える時もそうであろう。これだけ毎日多くの時間を生きているけれども、過ぎ去った過去は一瞬であり、断片的な思い出を心に抱えているだけの自分がいる。

秀吉ほどの人生となると、さぞ抱えきれない思い出があるだろう。と想像するのだが、大して変わらないのかもしれない。「いろいろなことも夢の中の出来事のようだ」と秀吉が言うように、過ぎ去った人生は振り返ってみても現実感を持って思い出すことはできず、夢の中の出来事のようなものものなのかもしれない。

そう考えると、「今に生きる」これが生きるということなんだなあ。と感じさせられる。

憂いはいつまでも続く

天下人となった秀吉は、それまで苦労したかいもあり、幸せに暮らし、命を全うした。ということであれば絵本の物語のようであるが、現実の人生はそうはいかない。天下を意のままに動かせる秀吉であっても、憂いがあった。それは・・・後継者 秀頼 のことであった。57歳の時に秀吉は待望の世継ぎとなる男子を授かるととなる。秀頼である。高齢での子供ということもあり、非常にかわいがった。しかしこの幸せは憂いと表裏一体であった。「自分が死んだ後、今臣下の体で仕えている者たちはどう動くだろうか」この憂いが秀吉の晩年についてまわる。秀吉は何度も諸大名を集め、秀頼への忠誠を誓う血判記請文を求めた。たかが1枚の紙きれなのかもしれないが、この紙きれに頼るしか、死に行くものにできることはないのである。

「かへすがへす秀頼事頼み申候」と諸大名に遺言し、慶長三年(1598年)八月十八日、京都伏見城で薨去した。62歳であった。