ディープ・スロート (映画)とは? わかりやすく解説
ディープ・スロート (映画)とは? わかりやすく解説

ディープ・スロート (映画)とは? わかりやすく解説

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当時ハードコアポルノを解禁していた国は少なく [ 2 ] 、フランスは1975年4月に解禁する [ 8 ] 。日本で東映系洋画配給会社の東映洋画が買い付け、新興の会社として業界にひと泡吹かせようと意気込んだ [ 2 ] [ 3 ] [ 9 ] 。この時点で配収は全世界で50億円 [ 9 ] であった。映像はハリー・リームスら俳優が性器を露出したわいせつなシーンとカットが多数で、日本で映写可能な部分は合計で15分程度と1本の映画として成立せず、上映時間70分の短い本作は公開不能となった [ 3 ] [ 9 ] [ 10 ] [ 11 ] [ 12 ] [ 13 ] 。そこで東映は、同じダミアーノ監督作品『ミス・ジョーンズの背徳』と合わせて二部構成を考え [ 3 ] [ 9 ] 、2作でストーリーの辻褄を合わせるためピンク映画の監督・プロデューサー向井寛に依頼 [ 9 ] [ 10 ] [ 12 ] [ 13 ] 。向井は日本国内で外国人女性を起用して演出したオリジナルシーンを撮り足して1本の作品に仕上げた [ 3 ] [ 13 ] 。

向井は、1974年8月に本作をデンマークのコペンハーゲンで鑑賞したが、一流劇場で掛かり、紳士淑女が端然と座して画面を堪能していた [ 9 ] 。鑑賞後に話の筋はセックスをパロディ化した他愛ないものと感想を持ったが、30センチの巨根をひと飲みにするラヴレース、泡を噴き出す口内射精、すさまじい乱交パーティと、客を釘付けにする生の本番の迫力に度肝を抜かれ [ 9 ] 、職業柄映倫にアレルギー感を抱いていた向井は、一種の清涼感を与えられた。東映洋画に呼びつけられて国内公開するべく編集を依頼されたが、「あんなもの、日本ではダメでしょう」とせせら笑って断ると、東映洋画の鈴木常承部長から「当然!でもそのダメなものに価値がある。それで商売したいんだ」と激しく訴えられた [ 9 ] 。やむなく試写を観せられたが、大半が税関でカットされた白味だらけで、とても作業は無理と判断した。東洋映画から「君がダメだと云うならあきらめるでえ」と言われ、依頼を受ける腹を括った [ 9 ] 。翌日から主演のリンダ・ラヴレースに似た外国人女性の手配に奔走し [ 9 ] 、実際は不明だがプエルトリコ系 [ 9 ] 、髪は黒茶色、顎の出張った非常に個性的な顔 [ 9 ] と判断した。スタッフらは横浜、横須賀と外国人がいそうなところに網を張り、やっと18人目で立川基地に勤務する現役軍人の女性を探し当て、ラヴレース役と決定した [ 9 ] 。全編の35分の修復作業は技術的に難航し、あらゆるアングルやサイズを撮り、白味部分に当てはめるが上手く合わない。スタッフ全員で協議し、複数女性の唇、頬、顎、などのパーツ7人分を撮り集めてラブレースの特徴を出すこととした [ 13 ] 。この手法は奏功し、特に尺八シーンは迫力を出すことに成功した [ 9 ] 。1975年7月28日に初号が完成し、試写室は東映幹部から向井の労をねぎらう言葉で溢れた。向井は何故か素直にその言葉を受け取れずに「俺にとって映画とは何だろう?」と自問自答を繰り返した [ 9 ] 。

日本版のキャッチコピーは「上映実現! 今世紀最大のスキャンダル・フィルムがとうとうやってくる 本日アメリカ・スウェーデン・デンマークに次いで世界4番目の解禁成る!」 [ 11 ] とした。日本はポルノを解禁しなかったが、国内上映が決定すると新聞各紙は「あれはインチキだ!」「こんなことをしていては映画がダメになる」など滅茶苦茶に叩いた [ 9 ] 。これは正論と言え [ 11 ] 、当時の観客は本来の『ディープ・スロート』とはまるで違うものを見せられつつ、その"噂"に金を払った [ 11 ] 。東映は、作品の実体ではなく衝撃的作品『ディープ・スロート』の"風説"を売るプロモーションを成功させ [ 11 ] 、映画の見世物性として好事例となる [ 11 ] 。

1975年8月16日 [ 1 ] に公開すると、作品の知名度と大宣伝により日本の洋画ポルノの興行で初めて8週間のロングランを記録し [ 9 ] 、配収1億7000万円の大ヒットになった [ 3 ] [ 9 ] [ 12 ] [ 13 ] 。この功労として東映は向井に大きな権限を与え、向井は東映から「500万円ポルノ」を大量に受注してユニバースプロを設立し、のちに獅子プロダクションへ移行して滝田洋二郎や片岡修二らを育て、不遇のピンク映画出身監督に一般映画制作のチャンスを与える先例となった [ 3 ] [ 10 ] 。

脚注

関連項目

  • ディープ・スロート (ウォーターゲート事件)
  • 作品
    • インサイド・ディープ・スロート (英語版) - 本作品を検証する2005年製作のアメリカのドキュメンタリー映画。
    • 東京ディープスロート夫人 - 1975年製作の日本映画(東映配給)。

    外部リンク

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    • Deep Thoat - full movie download (in the Public Domain because released pre-1989 without a proper copyright notice and not registered on time with the Copyright Office, pre-1976)
    • Notes on Deep Throat(英語)
    • Deep Throat (1972) - IMDb (英語)

    「ディープ・スロート (映画)」の例文・使い方・用例・文例

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