本能寺の変とは?なぜ裏切った?謎なの?簡単にわかりやすく
本能寺の変とは?なぜ裏切った?謎なの?簡単にわかりやすく

本能寺の変とは?なぜ裏切った?謎なの?簡単にわかりやすく

日本史上最大の謎といわれる本能寺の変は、天正10年6月2日の未明に明智光秀が織田信長の宿舎を襲撃した事件です。本能寺の変で信長は自害し、歴史が大きく動きました。しかし、明智光秀が謀反を起こした理由や動機が不明で、多くの説と謎が議論されています。本能寺の変について、わかりやすくまとめてみましょう。

信長は『 初花肩衝 ( はつはなかたつき ) 』と『 新田肩衝 ( にったかたつき ) 』という 大名物 ( だいめいぶつ ) の茶入を所有していました。これに『 楢柴肩衝 ( ならしなかたつき ) 』を手に入れれば、天下三大名物といわれる茶入をすべて手に入れることができる。これが信長の望みであり、この 楢柴肩衝 ( ならしばかたつき ) を所有する 豪商 ( ごうしょう ) ・島井宗室を本能寺に来させることがねらいだったのです。

この島井宗室は博多の商人であり、5月 中旬 ( ちゅうじゅん ) から京都に 滞在 ( たいざい ) していました。島井は6月はじめには博多に帰るスケジュールだったので、信長は急いで京都に来て本能寺で茶会を 開催 ( かいさい ) したわけです。

信長が用意した38点もの茶器は、 楢柴肩衝 ( ならしばかたつき ) とトレードするためのもの。

どうしてもこの茶入が欲しかった信長は、 小姓 ( こしょう ) だけ連れてくるという無防備さで本能寺に現れたのでした。

本能寺で茶会などせずに、信長が安土城から中国地方に向けて 出陣 ( しゅつじん ) していれば、光秀の 謀反 ( むほん ) が成功することはなかったでしょうし、 謀反 ( むほん ) を起こすこともなかったでしょう。

本能寺の変を起こした明智光秀

美濃国 ( みののくに ) (岐阜県)の出身であり、はじめは斎藤道三に仕えていました。その後、朝倉義景に身を寄せ、同じく朝倉氏を 頼 ( たよ ) ってきた足利義昭のサポートチームに光秀も加わります。

足利義昭を将軍職に就かせようとする働きに 奔走 ( ほんそう ) し、ちょうどそのころ 美濃国 ( みののくに ) を平定した織田信長と面会します。

勢いがある信長に、義昭を連れて京に上る 上洛 ( じょうらく ) 軍を 要請 ( ようせい ) しました。

足利義昭は信長の軍事力を背景に将軍に就任し、織田信長は義昭と室町幕府を大義名分とする、WinWinの関係を築きます。これを実現させたのが、明智光秀でした。

義昭を将軍就任へ導いた光秀の 手腕 ( しゅわん ) を信長は評価し、やがて光秀は信長の天下統一を手伝うようになります。

軍事、政治、外交に加えて 朝廷 ( ちょうてい ) との面識も広く、文化的な知識や教養にも明るかった光秀は信長から重宝され、織田家臣としてスカウトされます。

信長に 信頼 ( しんらい ) された光秀は、最も重要な政治 拠点 ( きょてん ) である京を中心とした 畿内 ( きない ) を 統括 ( とうかつ ) する司令官に 抜擢 ( ばってき ) されました。信長は自身の 喉元 ( のどもと ) ともいえる京を光秀に任せたのです。

本能寺の変は、信長にとってまさに 寝耳 ( ねみみ ) に水でした。

本能寺の変の新説として『 乙夜之書物 ( いつやのかきもの ) 』に書かれた内容が話題になりました。

先発した斎藤利三と明智秀満が2千ほどを率いて本能寺を 襲撃 ( しゅうげき ) した。明智光秀は本能寺から8キロ 離 ( はな ) れた 鳥羽 ( とば ) に 控 ( ひか ) えていた

まだまだ 信憑性 ( しんぴょうせい ) が問われる新説ですが、もしも事実だとしたら、燃えさかる本能寺を光秀は見ていなかった可能性があり、ドラマとは 違 ( ちが ) った視点だったかもしれません。

なぜ裏切った?謀反の理由

謀反 ( むほん ) の理由についても 憶測 ( おくそく ) の域を出ませんが、これまでフィクションとして 描 ( えが ) かれてきたもののなかにも、あながち作り話でもなさそうな 逸話 ( いつわ ) もあります。

本能寺の変を起こす少し前から、光秀が信長から 迫害 ( はくがい ) を受けていたのは事実であり、天正10年6月2日にあらゆる条件が 揃 ( そろ ) ったことが 謀反 ( むほん ) を 後押 ( あとお ) ししたのでしょう。

以下は、本能寺の変を 描 ( えが ) くうえで、必ずといっていいほど登場する 逸話 ( いつわ ) です。

甲州征伐 ( こうしゅうせいばつ ) で武田氏を 滅 ( ほろ ) ぼしたおり、 諏訪 ( すわ ) の 本陣 ( ほんじん ) に織田家臣が集まるなか、光秀が信長に「おめでとうございます。我らも苦労した 甲斐 ( かい ) がありました」と祝いの言葉をかけます。

ところが、信長は「お前ごときがなにをしたぁ!ゴルァ」と 激昂 ( げきこう ) し、光秀の頭をつかんで 欄干 ( らんかん ) に 叩 ( たた ) きつけました。

またあるときは 皆 ( みな ) が見ている前で 小姓 ( こしょう ) に光秀の頭をこづかせたこともあったといい、 酒宴 ( しゅえん ) の席で酒に 酔 ( よ ) った信長は光秀の 喉元 ( のどもと ) に 槍 ( やり ) を 突 ( つ ) きつけたこともあったとか。

このように光秀の自尊心をズタボロにした信長ですが、本能寺の変の直前の出来事として、徳川家康の 饗応役 ( きょうおうやく ) を解任された 逸話 ( いつわ ) が有名です。

しかし、おもてなしの 膳 ( ぜん ) に乗った魚( 鮒寿司 ( ふなずし ) ?)が 腐 ( くさ ) っていると 勘違 ( かんちが ) いした信長が 激怒 ( げきど ) し、光秀は役を降ろされるという 屈辱 ( くつじょく ) を味わいました。

家康の接待役をクビになった直後、中国地方で毛利輝元と戦う秀吉からの 要請 ( ようせい ) を受けて、信長が 出陣 ( しゅつじん ) する運びとなります。

光秀はその 先鋒 ( せんぽう ) を命じられ、準備を進めていました。

そこに信長からの使いの者がやってきて「 出雲国 ( いずものくに ) と 石見国 ( いわみのくに ) をやる代わりに、 丹波国 ( たんばのくに ) と 近江国 ( おうみのくに ) ・志賀郡を 召 ( め ) し上げる」というのです。

丹波 ( たんば ) と 近江 ( おうみ ) は光秀が必死の思いで守ってきた領地。 出雲 ( いずも ) と 石見 ( いわみ ) は毛利氏の領地です。つまり、毛利から 奪 ( うば ) い取らなければ、光秀の領地はないという意味でした。

このような背景から、光秀が 沈鬱 ( ちんうつ ) あるいは 憤激 ( ふんげき ) した気持ちで、信長に疑心を 抱 ( いだ ) いていたことは 間違 ( まちが ) いないでしょう。

そこにきて6月1日の本能寺での茶会です。 小姓 ( こしょう ) しか連れず、茶器だけ持ってきて平屋建ての寺に 泊 ( と ) まっていた信長の軽率な 振 ( ふ ) る 舞 ( ま ) いが、本能寺の変を起こす引き金になったかもしれません。

織田信長との関係

本能寺の変が起こる1年前、 丹波国 ( たんばのくに ) を統治するにあたって、光秀が定めた18か条からなる『家中軍法』の最後には「水に 沈 ( しず ) む 瓦礫 ( がれき ) のようだった私を 召 ( め ) し 抱 ( かか ) え、たくさんの軍勢を預けてくれた。粉骨して忠節に 励 ( はげ ) めば、主君にも伝わる」とあります。

ほかならぬ織田信長への恩義を書き記したものであり、この時点で光秀に 叛意 ( はんい ) は感じられません。

一方、信長も明智光秀を「日本一の武将である。 皆 ( みな ) も見習え」と激賞しており、 誰 ( だれ ) よりも 信頼 ( しんらい ) していました。

それからわずか1年。明け方の本能寺で、明智の旗に囲まれている様子を知った信長は口に指をあてて「余は自ら墓穴を 掘 ( ほ ) ったな……」とつぶやきました。

優秀 ( ゆうしゅう ) で 抜 ( ぬ ) かりのない光秀のこと、 逃 ( に ) げ道などないであろうことを信長はすぐに理解したといいます。

フロイスが見た信長と光秀

フロイスが記した著書『日本史』には、 辛辣 ( しんらつ ) ともいえる明智光秀の評価が書かれています。

”明智はその才略、 思慮 ( しりょ ) 、 狡猾 ( こうかつ ) さで信長の 寵愛 ( ちょうあい ) を受けていた”

”明智は信長の 嗜好 ( しこう ) をよく調べており、同情をひくために 涙 ( なみだ ) を流したが、それは本当の 涙 ( なみだ ) と思えるほどだった”

”明智は織田家ではよそもので、ほとんどの者から 快 ( こころよ ) く思われていなかった”

”明智は裏切りや密会を好み、 残酷 ( ざんこく ) で独裁的であったが、 抜 ( ぬ ) け目なく己を 偽装 ( ぎそう ) する”

”戦争においては 謀略 ( ぼうりゃく ) を得意とし、 忍耐力 ( にんたいりょく ) があり、計略と 策謀 ( さくぼう ) の達人であった”

”明智は友人に人を 欺 ( あざむ ) く72の方法を体得していると 自慢 ( じまん ) していた”

また、 催 ( もよお ) し事の準備(家康の接待)について密室で相談していた信長と光秀の様子についても書き残しています。好みに合わない提案をしてしまった光秀に、信長が 激怒 ( げきど ) したとあります。

明智が言葉を返すと信長は立ち上がり、一度か二度、明智を 足蹴 ( あしげ ) にした。それは密かになされたことで、ふたりだけの間での出来事だった

あるいはこの出来事から明智は何らかの 根拠 ( こんきょ ) をつくろうとしたのかもしれないし、利欲と野心を 募 ( つの ) らせた明智に、天下の主となることを望ませたのかもしれない

ルイス=フロイスの記述には、光秀が信長から 蹴 ( け ) られる様子がうかがえますが、密室でのことなっています。この話が 諏訪 ( すわ ) でのフルボッコにアレンジされた可能性があります。

そして、ルイス=フロイスは、この密室での出来事が本能寺の変を起こす 誘因 ( ゆういん ) となったのではないかと考えていたようです。

信長に謀反を起こしたのは光秀だけじゃなかった

・1556年 織田信行(実弟)・1570年 浅井長政(義弟)・1571年 松永久秀・1573年 足利義昭・1576年 波多野秀治・1577年 松永久秀=2回目・1578年 別所長治・1578年 荒木村重・1582年 明智光秀

ざっと並べただけでもこれだけの家臣に裏切られています。信長は、これらの 謀反 ( むほん ) をすべて武力で 鎮圧 ( ちんあつ ) しています。

織田信長という強大な存在は、正面から戦って勝てる相手ではありませんでした。そのため、光秀は2百名ほどしかいない本能寺をまたとないチャンスと見たのでしょう。

明智光秀が本能寺の変を起こすまでに、じつに8回の 謀反 ( むほん ) を経験している織田信長でしたが、まさか腹心の光秀にまで 叛 ( そむ ) かれるとは、予想もしていませんでした。

明智光秀が起こした 謀反 ( むほん ) によって、 覇王 ( はおう ) ・織田信長が倒れ、代わって豊臣秀吉というヒーローを生み出します。信長が 横死 ( おうし ) した11日後、光秀も秀吉によって討たれました。

本能寺の変については現在も研究がされており、特に光秀の動機については議論が 尽 ( つ ) きません。

日本史に大きなうねりを巻き起こした大事件『本能寺の変』は、400年以上経ってもなお、話題を提供しつづけています。

明智光秀のハナシを読む 織田信長のハナシを読む
  • 本能寺の変 – Wikipedia
  • 本能寺の変はなぜ起きた?徹底解説!明智光秀が織田信長を討った理由とは|和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
  • NHK大河ドラマの描き方と史実はまったく違う…明智光秀が「本能寺の変」で織田信長を討った本当の理由 信長への怒りから謀反を起こしたのではない|PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
  • 第3章 本能寺の変はなぜ起きたのか? – 福知山市オフィシャルホームページ
  • 【「麒麟がくる」コラム】明智光秀は本能寺にいなかったのか。新出史料について考えてみる(渡邊大門) – 個人 – Yahoo!ニュース
  • 明智光秀は「本能寺の変」の現場にいなかった!?[日本史の新常識]|歴史人
  • 本能寺の変「秀吉黒幕説」 ~ 天下人秀吉が犯人か?|戦国ヒストリー
  • 明智光秀は残虐で狡猾な人物だった【宣教師ルイス・フロイスから見た光秀】 – 草の実堂
  • 「本能寺の変」前日、信長が決行した茶会の真相 「本能寺の変」の真犯人を巡るひとつの視点|リーダーシップ・教養・資格・スキル|東洋経済オンライン
  • かゆみ歴史編集部『イラストでサクッと理解 流れが見えてくる 戦国史図鑑』ナツメ社
  • 伊藤賀一監修『キャラ絵で学ぶ!織田信長図鑑』すばる舎
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