宇宙開発における悲惨な死亡事故とその概要
コロンビア号空中分解事故 – 2003 年 2003 年 2 月 1 日、スケジュールではまもなく 28 回目のミッションが終了するころ、スペースシャトルコロンビア号はテキサス州とルイジアナ州の上空で大気圏に再突入している間に崩壊し、7 名の乗組員全員が死亡する結果となった。
ソユーズ 1 号は宇宙船の姿勢検知装置に異常が生じ、宇宙船の操縦が困難になった。ソ連上空を通過してすぐにソユーズ 1 号は逆推進ロケットを噴射して地球周回軌道を離脱したが、ほとんど宇宙船を制御することができなかった。メインパラシュートは開かず、手動で展開した予備のパラシュートも、減速用のパラシュートと絡まってしまい開かなかった。ソユーズはほとんど減速することなく秒速 40m(時速 145km)で地上に激突した。
ソユーズ 11 号の帰還失敗 – 1971 年
ソユーズ 11 号はソ連の有人宇宙船で、世界初の宇宙ステーション・サリュート 1 号へのドッキングに初めて成功したが、大気圏再突入の準備中に宇宙船内の空気が失われ、搭乗していた 3 人の宇宙飛行士が窒息死するという悲劇に終わった。
原因を究明すると、帰還モジュールとソユーズ本体を繋ぐバルブの部分に欠陥が見つかった。直径 1mm 以下のそのバルブは着陸の瞬間までカプセル内の気圧を保つはずだったが、この時は再突入前からカプセル内の空気を宇宙に漏らしてしまっていた。上空 168km にいる時点で、わずか 30 秒の間にカプセル内の空気は全て失われたと推定された。バルブを手動で閉めるには 60 秒は必要で、ドブロボルスキーは亡くなる前に半分まで閉めていた。
アポロ 1 号の火災事故 – 1967 年
アポロ 1 号は、アメリカ合衆国のアポロ計画において、1967 年 2 月 21 日の発射を目指して準備が進められていた最初の有人宇宙飛行計画である。同年 1 月 27 日、ケネディ宇宙センター 34 番発射台上で発射の予行演習を行っていた際に発生した火災により、船内にいた宇宙飛行士 3 人が犠牲になり、司令船も焼失した。
搭乗員たちは待ち時間のあいだに、チェックリストの再点検を行っていた。午後 6 時 30 分 54 秒、電圧計がほんの一瞬だけ上昇するのが記録された。チャフィーが「おい (Hey) 」と言い、そのあと何かを引きずるような音が 3 秒間続き、グリソムが「火が燃えはじめている」と伝えた。続いてチャフィーが「操縦室内で火災が発生している」と報告し、ホワイトがそれに応答した。12 秒後、チャフィーが他の乗組員たちに司令船から脱出するよう促した。
最初に火災の報告があってから 17 秒後の午後 6 時 31 分 21 秒、誰かの悲鳴が聞こえた直後にとつぜん通信が途絶えた。火災ガスにより船内の気圧は 29 psi (200 kPa) まで上昇し、その後爆発が発生して船内の機器が破壊された。
出火の直接の原因は究明されることはなかったが、飛行士の生命を奪った要因は、初期型アポロ司令船の設計および構造における広範囲な致命的な欠陥に起因するものであるとされた。これらの問題が修正されるまで、アメリカの有人宇宙飛行計画は 20 ヶ月間中止された。
ニェジェーリンの大惨事 – 1960 年
ニェジェーリンの大惨事は、1960 年 10 月 24 日にバイコヌール宇宙基地でソビエト連邦の大陸間弾道ミサイル R-16 の試験打上げ時に発射台上で発生した事故である。
試作ミサイルの試験飛行のため発射台で準備が行われている間、誤って二段目のロケットエンジンが着火した。結果として地上で大規模な爆発に至り、多くの軍人や技術者等が犠牲となった。公式の発表では死者 90 人であったが、実際には最大で 150 人程度に上り、一般的にはおそらく 120 人程度と推定されている。災害の規模にも関わらず、この事故のニュースは長年にわたり隠蔽され、ソビエト政府も 1989 年まで認めていなかった。
長征 3B ロケットの爆発 – 1996 年
1996 年 2 月 14 日、飛行中だった中国の長征 3 号 B ロケットが墜落した。強い腐食性を持つ非対称ジメチルヒドラジンが一帯に飛散し、村は壊滅。中国政府の公式確認では死者は 56 人。米国の軍事情報筋によれば、200 人以上が死亡したとみられている。500 人が死亡したという情報もある。
打上げ 9 秒後に機体が水平方向に傾き、打上げ 22 秒後にロケットは山腹に激突した。衛星を搭載した部分はその少し前に荷重に耐えられなくなってちぎれ落下した。ロケットが落下した場所は宇宙センターのゲートの隣で、その場所には打ち上げ前に数百人の村人たちが集まって見学していた所だった。
2 週間後、中国の新聞はこの事故の死亡者は 6 人、負傷者は 57 人であったと発表した。この数は技術者たちの被害としては現実的だと思われるが、集まっていた村人たちのうちどのくらいが死んだのかはわからない。だが数百人が死んだのは間違いないだろう。