戦国時代クイズ(初級編)
みんな大好き戦国時代。織田信長や徳川家康、歴史的な合戦について簡単な戦国時代クイズを作成しました。このクイズに挑戦してあなたの戦国時代への知識を試してみましょう!
解説:足利義昭(あしかが よしあき)は、室町幕府の第15代にして最後の将軍です。織田信長の助力を得て上洛し、1568年(永禄11年)に第15代将軍に就任しましたが、信長との関係が悪化して対立し、槇島城の戦いに敗れ京都から追放されました。これにより室町幕府は実質的に滅亡しましたが、その後も鞆幕府(ともばくふ)を樹立するなど将軍として活動しました。豊臣政権樹立後の天正16年(1588年)に義昭は秀吉とともに参内し、将軍職を朝廷に返上しました。出典
5問目の答え 今川氏真や織田信長が行った、商業を活性化させるための経済政策といえば?答え: 楽市・楽座
解説:解説:楽市・楽座(らくいち・らくざ)とは、各地の戦国大名などにより、支配地の市場で行われた経済政策です。それまでの商人は、お寺などの地主に手数料を払って市場で商品を販売していました。また、協同組合に所属していなければ、店を開くこともできなかったのです。信長は楽市・楽座令によって、払わなければならない税金を減らし、誰でも自由に商売ができるようにしたのです。出典
6問目の答え 天正3年(1575年)織田信長との連合軍で長篠の戦いに勝利したのは?答え: 徳川家康
解説:長篠の戦い(ながしののたたかい)は、1575年(天正3年)に起きた織田信長・徳川家康連合軍と、武田勝頼の軍勢が戦った合戦です。この戦いの敗北で武田側は多くの重臣を失い、滅亡への途を辿ることになります。なお、有名な「鉄砲三段撃ち」「武田の騎馬軍団」は疑問視されています。出典
7問目の答え 徳川家康が幼少期に人質として過ごしていたのは?答え: 今川氏
解説:解説:三河国の土豪である松平氏は今川氏に庇護されており、家康(当時は竹千代)は人質として駿府(現在の静岡市)で過ごしました。しかし、1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで今川義元が敗れて以降、今川氏からの自立をはかります。補足:家康が数えで6歳の時に今川氏への人質と送られますが、途中で裏切りにあい、尾張の織田信秀のもとへ送られ、そのまま2年間人質として暮らしています。出典
8問目の答え 天正6年(1578年)に、キリスト教の洗礼を受けた九州の武将といえば?答え: 大友宗麟
解説:大友宗麟(おおともそうりん)(義鎮)は、北九州東部を平定した戦国大名です。1578年(天正6年)キリスト教の洗礼を受けキリシタン大名になりました。出典
9問目の答え 第11世門主の顕如(けんにょ)が信長包囲網に加わるなど、信長に激しく抵抗したのは?答え: 本願寺
解説:第11世門主顕如の時代、本願寺教団は大名なみの権力を有していたため信長と敵対し、途中数度の和睦を結びながらも10年間にわたり戦い続けました(石山合戦)。信長包囲網が瓦解していくなかで本願寺も抗戦継続を諦め、1580年(天正8年)に信長と和睦しました。出典
10問目の答え 本能寺の変の後に起きた羽柴秀吉と明智光秀の戦いといえば?答え: 山崎の戦い
解説:山崎の戦い(やまざきのたたかい)は、1582年(天正10年)の本能寺の変を受け、備中高松城の攻城戦から引き返してきた羽柴秀吉の軍と、織田信長を討った明智光秀の軍勢が激突した戦いです。この戦いに勝利したことで、秀吉は清洲会議で信長の後継者としての地位を固め、天下人への道を歩み始めました。出典
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