世紀の奇病
世紀の奇病

世紀の奇病

世紀の奇病 1913年、九州帝国大の宮入慶之助および鈴木稔が、ミヤイリガイ(宮入貝)という巻き貝が中間宿主であることを発見します。 卵が、人や家畜の糞便を介して水中に入り、孵化して中間宿主のミヤイリガイに寄生 →貝の中で成長し、セルカリアとして皮膚から哺乳類の体内に侵入 →成虫、産卵 というサイクルを繰り返します。

1913年、九州帝国大の宮入慶之助および鈴木稔が、ミヤイリガイ(宮入貝)という巻き貝が中間宿主であることを発見します。 卵が、人や家畜の糞便を介して水中に入り、孵化して中間宿主のミヤイリガイに寄生 →貝の中で成長し、セルカリアとして皮膚から哺乳類の体内に侵入 →成虫、産卵 というサイクルを繰り返します。 セルカリアの感染ルートを突き止めたのは、「日虫病」の権威として有名だった、山梨県の杉浦三郎医師(上の写真の人物)です。

その理由を大岡はこう推測しています。 「日虫病」は、感染時にかゆみ、下痢、発熱などが起きますが、1週間ほどで症状は消えてしまいます。それから7カ月から1年の潜伏期間を経て、本格的に発病するのです(山梨では10〜30年後の発病も確認)。 《要するに、それぐらいの症状では、戦陣では特別の病気とは見なされない。 「そんな病気は聞いたことはなかったな」と土居、金子両参謀が言う。 「それだけ激戦だったのですね」と林医師》(『レイテ戦記補遺Ⅱ』)