ナゴルノ・カラバフ戦争 (読み)なごるのからばふせんそう
ナゴルノ・カラバフ戦争 (読み)なごるのからばふせんそう

ナゴルノ・カラバフ戦争 (読み)なごるのからばふせんそう

日本大百科全書(ニッポニカ) - ナゴルノ・カラバフ戦争の用語解説 - 1991年にアゼルバイジャンからの分離独立を図ったナゴルノ・カラバフ共和国をめぐって、同共和国およびそれを支援するアルメニアと、アゼルバイジャンとの間で始まった戦争。ナゴルノ・カラバフ紛争ともいう。 ナゴルノ・カラバフは、アゼル...

そうした状況のもとで、2022年12月12日、「アゼルバイジャン領でアルメニアが天然資源を違法に採掘している」ことに抗議するアゼルバイジャンの非政府組織と環境活動家がラチン回廊を遮断。翌2023年3月には停戦合意に違反してアゼルバイジャン軍がラチン回廊周辺のアルメニアおよびアルツァフ共和国領を占領し、4月23日にアゼルバイジャン・アルメニア国境に検問所を設置したため、アルツァフ共和国の補給路は完全に遮断された。その後2023年9月19日から20日にかけて、アゼルバイジャン軍は、アルツァフ共和国に対する大規模な軍事攻撃を開始した。翌9月21日、ロシアの平和維持軍の仲介により、停戦協定が成立し、アルツァフ共和国軍の武装解除が合意された。アルメニア政府によると、この間、10月3日までに、難民としてナゴルノ・カラバフからアルメニアに脱出したアルメニア系住民は10万0617人に達したが、これは、その時点でナゴルノ・カラバフに居住していたアルメニア系住民の大部分が難民化したことを意味している。こうして、事実上、アルツァフ共和国は消滅した。10月15日、アゼルバイジャンの大統領イルハム・アリエフIlham Aliyev(1961― )はナゴルノ・カラバフを訪問。アルツァフ共和国の首都であったステパナケルト(アゼルバイジャン語でハンケンディ)のアルツァフ共和国大統領府前にアゼルバイジャン国旗を掲げ、17日にはナゴルノ・カラバフ問題の解決を宣言した。しかしながら、ナゴルノ・カラバフ地方にもともと居住していたアルメニア系住民の大半が難民となって故郷を追われたことは、人権および人道上の大きな問題であり、アルツァフ共和国の事実上の消滅がかならずしもナゴルノ・カラバフ戦争の最終的な解決を意味せず、難民問題の解決が今後の課題として残されたといえる。

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